2011/06/04 19:39:11
私の好きな言葉「印象深く」
神々しいファンファーレ。
忘れがたい響き。
まるで一枚の絵を眺めているような心境。
その一音で雰囲気を変えてしまうようなピッチカート。
さも、そこにあるのが予定されていたように
自然に曲が流れ出すような伴奏。
とろけそうに柔らかな音で、突如浮かび上がってくるフレーズ。
突如・・・もしかしたら最初からいたのかもしれないと思うくらい
曲に絡みつき溶けては現れるフレーズ。
野蛮な音・・・技術的にも難ありまくり・・・
しかし、なぜか「これでもか!」と心揺さぶられる暴力的音楽。
クレイジー・・・しかしその次元すら飛び越え、誰もたどり着けなかった新解釈。
0点かもしれない、しかしこれが新しい正解なのかも知れない。
音はその場限りの物です。
録音技術が発達してもその基本は変わらないと思います。
だからこそ、生まれる偶然が、音楽があります。
単純な音量の変化、テンポの変化では表現できない物・・・
印象深く!
もっと高い次元でレッツ音楽!
ところで、だいぶ前ですがトランペットを吹くロボット(アシモ)がテレビに出ていました。
ノーミスで淡々と文字通り機械的な演奏。
そんなとんでもロボットや、ボーカロイドなど、機械で操作できるコンピューター仕かけの正確な音楽・・・
しかしながら、音楽とは奥深いものです。
音楽には楽譜の五線には書いていない、何か別の要素があるのです。
そりゃそうです。演奏しているのは生身の人間。
感情だって持っているし、その日その日で若干のパフォーマンスの波があるのは当たり前。
「音楽に魂をこめろ!」
この言葉は別に、根性論や、理想論、絵空事ではもちろんない。
同じオタマジャクシの並び(同じフレーズ)でも、ときに全く別物に聞こえるときがある。
細かく分析すると、そりゃあ、結局音色の差、始まり方終わり方の感触、ダイナミックス、音の抜き張り具合、ピッチの操作、音の形などの組み合わせなんだと思う。
でも、そんな科学的な分析はたいていあまり役にたたない。
人間の感覚が、その無限の組み合わせからベストなものを抽出しているのか?と問われても、そんなことしてるとも思えない。
そもそも、科学的分析と、感動は別のところにある。
まあ、科学的分析も「少しピッチを下げると物悲しい雰囲気が出る」だのといった、ワンポイントアドバイスとしては使えるかもしれない。
しかし、それだって、演奏者の膨大な経験からくるいわば教訓みたいなものであって、ケースバイケースだ。
音楽ってのはもっと気まぐれで繊細なもんなんだ。
それを調整するのは、機械や理論じゃなく、人間だ。
音楽は心で作っているんだなあと実感。
感情は音にこもっている。
感情を音に込めるのは、考えてみると表現方法のひとつなのだろう。
たしかに、あくまで技術的に、システマティックに人間の感情を表現することは可能であろう。
ビブラートで、ピッチの揺れで感情を表現する。
可能であろうが、それはまた別の話。
声だって、感情を表している。
演奏が感情を表さないはずがない。
感情は音に宿る。
ゆえに、音楽は生きている。
神々しいファンファーレ。
忘れがたい響き。
まるで一枚の絵を眺めているような心境。
その一音で雰囲気を変えてしまうようなピッチカート。
さも、そこにあるのが予定されていたように
自然に曲が流れ出すような伴奏。
とろけそうに柔らかな音で、突如浮かび上がってくるフレーズ。
突如・・・もしかしたら最初からいたのかもしれないと思うくらい
曲に絡みつき溶けては現れるフレーズ。
野蛮な音・・・技術的にも難ありまくり・・・
しかし、なぜか「これでもか!」と心揺さぶられる暴力的音楽。
クレイジー・・・しかしその次元すら飛び越え、誰もたどり着けなかった新解釈。
0点かもしれない、しかしこれが新しい正解なのかも知れない。
音はその場限りの物です。
録音技術が発達してもその基本は変わらないと思います。
だからこそ、生まれる偶然が、音楽があります。
単純な音量の変化、テンポの変化では表現できない物・・・
印象深く!
もっと高い次元でレッツ音楽!
ところで、だいぶ前ですがトランペットを吹くロボット(アシモ)がテレビに出ていました。
ノーミスで淡々と文字通り機械的な演奏。
そんなとんでもロボットや、ボーカロイドなど、機械で操作できるコンピューター仕かけの正確な音楽・・・
しかしながら、音楽とは奥深いものです。
音楽には楽譜の五線には書いていない、何か別の要素があるのです。
そりゃそうです。演奏しているのは生身の人間。
感情だって持っているし、その日その日で若干のパフォーマンスの波があるのは当たり前。
「音楽に魂をこめろ!」
この言葉は別に、根性論や、理想論、絵空事ではもちろんない。
同じオタマジャクシの並び(同じフレーズ)でも、ときに全く別物に聞こえるときがある。
細かく分析すると、そりゃあ、結局音色の差、始まり方終わり方の感触、ダイナミックス、音の抜き張り具合、ピッチの操作、音の形などの組み合わせなんだと思う。
でも、そんな科学的な分析はたいていあまり役にたたない。
人間の感覚が、その無限の組み合わせからベストなものを抽出しているのか?と問われても、そんなことしてるとも思えない。
そもそも、科学的分析と、感動は別のところにある。
まあ、科学的分析も「少しピッチを下げると物悲しい雰囲気が出る」だのといった、ワンポイントアドバイスとしては使えるかもしれない。
しかし、それだって、演奏者の膨大な経験からくるいわば教訓みたいなものであって、ケースバイケースだ。
音楽ってのはもっと気まぐれで繊細なもんなんだ。
それを調整するのは、機械や理論じゃなく、人間だ。
音楽は心で作っているんだなあと実感。
感情は音にこもっている。
感情を音に込めるのは、考えてみると表現方法のひとつなのだろう。
たしかに、あくまで技術的に、システマティックに人間の感情を表現することは可能であろう。
ビブラートで、ピッチの揺れで感情を表現する。
可能であろうが、それはまた別の話。
声だって、感情を表している。
演奏が感情を表さないはずがない。
感情は音に宿る。
ゆえに、音楽は生きている。