2015/04/26 12:42:43
聴力をほとんど失ってしまったベートーヴェンは、最後まで、自分自身の声は聴くことができたそうです。聴力はどうしても加齢とともに低下していきます。でも、耳が遠くなっても、自分自身の歌声は、最後まで心に響き続けます。
自分の歌は、最後まで残る楽器なのです。
メロディを声に出して歌うということは、実は、プロの音楽家にとっても、洋の東西を問わず、普遍的に大切なトレーニングなのです。
これはいかんなぁと思う学生には、「ちょっと、いまのところ、声に出して歌ってごらん」とレッスンしていました。そうすると、だいたいが、しどろもどろになって歌えない。
楽器だけをテクニックだけで吹き散らす癖をつけてしまうと、演奏者は伸び悩んでしまう。
自分の内側に確かな音楽がなくても、吹くだけなら、とりあえず音は出るので誤魔化せてしまいます。でも、歌は誤魔化せません。
つまり、ただただ楽器練習ばかりをしていても、音感はなかなか育ちません。また、歌を歌っているからといって音感が優れているというわけでもありません。音感は理論と実践を併用して、初めて向上していくものだからです。
歌の表現力をつけたい人は、普段から、犬の声でもいいですから、何かのモノマネをしてみる癖をつけるとよいでしょう。
自分で歌うことができなければ、音楽に魂がこもらない。固有の歌がなければ、たとえ楽器は鳴っていても、ただの「音出し」にしかなりません。
音楽理論をまったく知らない人には、実は大変な弱点があります。「間違い」がはっきりとは、わからないのです。読んだり聴いたりして、何となくおかしいな、とは思っていても、どこがどうおかしいのか指摘ができません。
人間は、「意識しなければ気づかない」ことに囲まれています。音感のトレーニングとは、自分の周囲の世界が、いかにいろいろな音程に囲まれているかを気づくためのトレーニングでもあるわけです。
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2015/04/26 10:29:46
プロの指揮者にとって音楽制作は、ふさわしい音にしていくだけの作業が延々と続く退屈極まりない仕事かもしれない。好きだから務まるものではないし、理想がなければ務まらない。彼らの脳内には理想の音がいつも響いていて、それに近い音を創作しているのだ。
しかし、アマチュアの指揮者にそこまで求めるのは少し酷かもしれない。 プロの指揮者とアマチュアの指揮者は特色が違うし、役割も違う。 ただ手抜きのない、丁寧な音づくりをしていくしかないのだ。
実はプロを打ち負かすことができるのはこのポイントだ。
プロ指揮者がプロ演奏家を相手にする場合、時間をかければ完成度が上がるというものでもない。速いことが一番。それは決断力の証拠でもある。 そもそもプロは忙しい。 練習時間もそれほどないまま本番を迎えなければいけないことを考えると当然のことだろう。 この点でアマチュアは強い。音楽をじっくり追及していく余地があるのだ。
手抜きと合理化は違う。 たとえば、ある場面で三つの「音」が必要だとしても、100もの選択肢から選ばれた「3」と、最初から3つしか選んでいない「3」では3の重みが違う。
こういった模索を怠ってはならない。
指揮者といって孤高の存在になる必要はない。 演奏者が何を目指しているか情報共有しよう。 世の巨匠たちが晩年になって駄作を発表するようになるのは、才能が枯渇したからではないと思う。偉くなって、人の意見を聞けなくなったからなのだ。誰も意見をしてくれなくなるからなのだ。物事の渦中にいる人間というのは、むしろ外で眺めている人間よりも鈍感であることが多い。たまには演奏者(パートリーダー)の主張に耳を傾けてみよう。これも音楽と向き合うことのひとつなのだ。
しかし、アマチュアの指揮者にそこまで求めるのは少し酷かもしれない。 プロの指揮者とアマチュアの指揮者は特色が違うし、役割も違う。 ただ手抜きのない、丁寧な音づくりをしていくしかないのだ。
実はプロを打ち負かすことができるのはこのポイントだ。
プロ指揮者がプロ演奏家を相手にする場合、時間をかければ完成度が上がるというものでもない。速いことが一番。それは決断力の証拠でもある。 そもそもプロは忙しい。 練習時間もそれほどないまま本番を迎えなければいけないことを考えると当然のことだろう。 この点でアマチュアは強い。音楽をじっくり追及していく余地があるのだ。
手抜きと合理化は違う。 たとえば、ある場面で三つの「音」が必要だとしても、100もの選択肢から選ばれた「3」と、最初から3つしか選んでいない「3」では3の重みが違う。
こういった模索を怠ってはならない。
指揮者といって孤高の存在になる必要はない。 演奏者が何を目指しているか情報共有しよう。 世の巨匠たちが晩年になって駄作を発表するようになるのは、才能が枯渇したからではないと思う。偉くなって、人の意見を聞けなくなったからなのだ。誰も意見をしてくれなくなるからなのだ。物事の渦中にいる人間というのは、むしろ外で眺めている人間よりも鈍感であることが多い。たまには演奏者(パートリーダー)の主張に耳を傾けてみよう。これも音楽と向き合うことのひとつなのだ。